the man who never knew …

いきいきと生きると 粋に生きる

リッチマン、自己分析マン

最近、幸運にも自己分析をせざるを得ない機会が多い。

 

ハッキリ言って、俺は自分のことなど自分で分析するもんじゃないと思っていた。

いや、今でも半分ぐらいはそう思っている。

というのも、一部の例外を除いた生活において、自分のことをどう思うのか判断する機会が多いのは、圧倒的に他人だからである。

 

あの人、いつもアポした時間より遅れてくるよなー

 

イコール

 

ルーズな人、なのである。

 

 

あの人、いつもイライラしてて相談しにくいんだよなー

 

イコール

 

気難しい人、なのである。

 

詰まるところ、その人をその人であると評価足らしめるものは、日ごろの言動およびそこから表れる雰囲気がすべてなんだから、

自分を見つめて見えてきたものがその評価を上回ることはないよ、と。

 

journal.rikunabi.com

 

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誰、これ。

小栗旬どこ行った。

はよ井浦新に会社乗っ取られろや。

 

リッチマン、プアウーマン - Wikipedia

 

・・・

 

まあ、わかりましたよ。

要は、ゲームをコントロールできる人材になれ、と。

コントロールするには、自分がどんな人間なのか言語化できるようになれ、と。

自分がどんな人間なのか言語化できるようになるためには、自己分析しろ、と。

 

はい、します。

リッチマンになってプアウーマンと仲良くなりたいです。

 

 

でも、まじめな話、人生において自分をレビューすることを本当にしてこなかったなーって。

避けてきたっていうか。

結局、自分のことを突き詰めるのが怖いし、その先に見えてくる姿と立ち向かえる自信がないからねー。

 

足りない自分を受け入れられるかとか、

壁を乗り越えられるかとか、

決断と覚悟ができるかとか。

 

結局、自分を知ることって、その問いをどれだけしたか?、その上でどれだけ実行したか?ってことかも知れない。

 

その点を踏まえて考えると、少なくとも今の自分には『自己分析』を行うことは重要。

つーか、やらなけらばならないこと。

なぜなら、他者評価に頼った自己分析でこのまま生きるのが難しくなってきてるから。

 

どのステージに立ちたいのか

そのために将来に向かって何をやるべきか、今何ができるか

 

そこらへんとはしっかり向き合っていかないと、誰かのために貢献できるような人間には少なくともなれないな、と。

 

でも、これ疲れますよ。

自己嫌悪にもなるし。

意識だけ高くなっちゃう人がいるのもわかる。

もうステージにも立っちゃってて、アップデートする必要もない状況だったら、他者評価に依存して生きるってことも重要なんじゃないかな、と。

 

ただもう、それって仙人のレベルだよね。

そして俺は仙人じゃない。

 

結論。

まだ自分で自分のことを諦めたくない気持ちがある限り、自分と対峙し続けなければならない。